
私の年表らしきものを書いてみます。需要ないと思いますが、こんな人が運営しているんだな〜といった具合に見てください!まずは就職前まで編!超大作になる予感…
年 | できごと |
---|---|
1993 | 愛知県名古屋市で生まれる |
2011 | 名古屋大学工学部物理工学科入学 |
2015 | 名古屋大学工学部物理工学科卒業 |
2015- | とある製造メーカーに就職 |
2021 | 現在に至る |
- #1就活前まで←イマココ
- #2就職から生産技術本配属まで
- #3生産技術配属から初の社内設備内製
- #4初の社内設備内製
- #5自分発信の設備設計製造
- #6採用活動への初参加
- #7やっぱ工場の華といえばロボットでしょ!
幼少期/1993~
名古屋のとあるごく一般的な家庭で育った。
幼少期は何でも自分でやりたがり。何でもやれると思い込んでいる子だとよく言われていた。
部活動は小中高でサッカー野球卓球としましたがそれぞれそこまで成績をおさめることはできなかったが、途中でやめることが嫌いなため最後までやりきった。
勉学は特に問題もなく程々に勉強したことにより高校受験、大学受験共にクリア。大学の選択方法は家から近くて名のあるところということで名古屋大学、という非常に短絡的な決め方であった。
大学勉強
原子力系統に興味があり大学に入ったが、入学と同時に大地震があり、この学部の地位はがた下がり&就活先の縮小がおきた。物理工学の勉強自体は楽しかった。しかし、研究室での勉学の社会的な適用範囲があまりにも狭すぎる、かつ勉強しているうちにその範囲の仕事に興味を持てなかった。そのため院に進むことをやめ学卒で就職をすることにした。
サークル
入会編
アカペラサークルに入った。きっかけは高校の友人に一緒に入らないかと誘われたからだ。このアカペラサークルはマンモスサークルと呼ばれ毎年200人ほど入会する。それだけ人がいても正直な話、自分は歌結構うまいほうだろと自負をしていた。
しかし、はいったら歌がうまいやつしかいない。一瞬で心がおれました。このサークルは歌がうまい人のヒエラルキー?が異常に高く、先輩からとても可愛がられる傾向がありました。私は悲しいかな比較的可愛がられない方へ…
継続編
サークルは楽しいような辛いような
いろんな気持ちがこみ上げる中どんどんやめていく友人たち。半年で半分ほどに。世の中の厳しさ(実力主義)を目の当たりにした瞬間であった。半年経つと先輩から絶対選択してもらえるボーナスタイムは終了。自分たちでバンドと呼ばれるグループを作らなくてはならなくなる。ありがたいことに懇意にしていただいた先輩に一つ誘っていただくことができた。これだけにしがみつくこともできた。しかし正攻法じゃ戦えないと思い、それと他にネタバンドを組むことを思いついた。ネタバンドとはつまりお笑いバンドで歌とお笑いをミックスして攻める。
発送の転換の大事さに気づいた。
いきいき編
ネタバンドができてからは楽しかった。
何よりネタバンドには型がない。そのため、こういうの面白いんじゃない?といった案が今日思いついたら今日始めることができる。そして、それが新たな型になっては消えを繰り返す。常に新しいことの繰り返し。このとき組んだ友人とは今でも仲良くしていて、なんでもないことを議論したりすることがとても楽しかった。
そして、周りのバンドと同じ土俵で戦う必要がないという特典付き。熾烈な戦いが行われている蚊帳の外で独自性を出すことができる。
何をするかより誰とするか/戦うポジションの大事さを学んだ。
卒業編
サークルでは最後まで歌がうまい人という状態にはならなかったが、最後までやり切る事ができた。最後までやっていま社会人になったことで話せるようにった人たちも多く、今でも同窓会を年一回開くほどの仲になっている。
継続することの大事さを学んだ。
バイト
バイトは2種行った。
塾講師
友人の紹介で個別指導塾講師のアルバイトをした。ほどほどのレベルの小中高生に個別指導を行った。授業自体はいいのだが、時給換算がとてもおかしかった。どう考えても休憩時間にも仕事をしないと回らないにも関わらず、授業あいだの時間は給料発生しない。そして、今思うと塾講師なのに時給1000円は安すぎた。それ以外にも事情があったが無事1年ほどでバイトをやめた。
就活するなら、しっかり就業ルールが決まってるところがいいなと思った。
自転車屋
家の近くにイオンがあったので、特ににも考えずにバイトに応募した。軽く面接をしていたら、サイクル担当はどうだと部門長から言われた。自転車に特段興味があるわけではなかったが、いじるの面白そうなので二つ返事でオッケーをした。
自転車屋はとても楽しかった、自分の手で壊れている(パンクした自転車やブレーキが効かなくなった自転車)を直すことができるようになっていく。自分に何かしら物理的なスキルがついていくこと、ものを生み出している感じがとても楽しかった。
ものづくりの楽しさを学んだ。
就活
就活探し編
就活は学部で探したので、特に推薦などは全く考えていなかった。そして地元が好きだったので愛知県の会社に絞った。また、バイト経験からものづくり関連の会社に興味があった(ただ、車にそこまで興味がなかったため車以外のものづくりを探した。)それ以外は特に何もなく幅広く就職活動をした。強いて言うのなら大企業は受けなかった。早く上に上がって自分の裁量を持ちたかったというのと、大企業での仕事は出来上がりきったシステムで仕事をするという偏見もあった。
ダンボール製造機械メーカー、空圧バルブメーカー、アルミアルマイトメーカーと様々なメーカーに応募したそれなりに就活状況が進んでいったがそれと言ってピンとくる会社はなかった。
就活決定編
就職活動において、様々な面接を受けた。色々受ける中でサークルの中でも感じていた、何を仕事にするかより誰と仕事をするかが大事だと再確認した。そのきっかけは、いま就業している会社の人事担当者であった。他のいかなる人事担当者より熱意があった。自分と一緒に働きたい!熱意と誠実さが溢れ出ていた。その熱意に負けたというと聞こえが悪いが、自分のメーカーの良さ悪さをさらけ出し、リアルな職場を出しながら会社をプレゼンしている姿に圧倒された。
結果ある大手空圧バルブメーカーを蹴って今の職場を選択した。
入ってかは皆になんでうちに来たん?って言われますが、今のところ後悔はしていません。
後半へ続く
ちなみにですがここまでFA設備のFの字も出ていません(笑)
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